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2006年06月13日

ワールドカップ初戦敗退の日

今日は日本ワールドカップ初戦の日だ。

わくわくしてというわけではないが、少々高揚した気分で大学へ向かったのだが・・・
なんと私が乗ったメトロが駅から半分ほど出発したところで、
いきなり停電の後、停車してしまった。
すぐにドアは開いたのだが、乗客の誰かが

「電車、壊れたわよ〜」

と大声で叫ぶや、満員の乗客のほとんどはパニック状態になり、我先にと出口を目指し始めた。

私が乗った車両の前半部は、駅を既に離れており、火災でも起こってたらちょっとやばいかなあ、などと思っていたが、どう考えてもすぐに出られる状況にないのと、現場から遠かったため故障の状況がよく分からないことが幸いしてか、私の周囲の人たちは道を譲り合ったりして落ち着いて行動していた。

電車を降りると、車両の後方部分から白煙があがり、本当に火災に発展してもおかしくない光景を見て、ちょっとヒヤッとした。
それにしても、電車前方部に乗っている人は、完全に駅から離れており、連結部から脱出してくる人もいるが大半は車内に残ったまま様子を伺っていた。

私が乗った車両の状況との相違に暫く唖然。

結局、次の駅まで徒歩で移動する羽目になったのだが、もし、地下鉄構内のど真ん中で停車していたら、構内を徒歩で移動ということになったのだろうか?
対向車線は稼働しているし、それは恐怖だっただろうなあ。
ちなみに、乗車券の補償はありませんでした。
恐るべし、フランスの地下鉄。

そしてワールドカップ。
グループ作業が滞って、結局教室の大画面で見始めたのは70分経過した場面から。周りには、チュニジアの学生とフランス人学生2人がいて、最初の10分は一緒に応援してくれていたのだが・・・
残り時間も少なくなったところで、チュニジーが
「日本が買ったらアサヒで乾杯だね。」
と言い、
私も
「いいよ。俺のおごりで勝利の美酒といこうか^^)」
と応じた。

その会話にフランス人学生が言わなくてもいい一言。
「おまえ、イスラム教なのに、飲んでもいいのか〜。」

その一言がチュ二ジーの怒りに日をつけ、日本の応援そっちのけで、あーでもない、こーでもないと口喧嘩が始まってしまった。

口喧嘩が始まって、約1分後、オーストラリアの同点ゴール

呆然とする私を無視し、さらに罵りあう二人。

あれよあれよという間に逆転ゴール
ここにきて、やっと日本の異変に気付き、口喧嘩を止めるものの、今度は両者の怒りの矛先が不甲斐ない日本のプレー及び監督指揮に向き、両者和解したところで、3失点目〜〜!!

あ〜、勝負事を見るときは、喜びと悲しみを共有できる人達がいる場所というのが非常に大切だと痛感!!でなければ見ない方がいい。

そして、帰り道、クリーニング屋での出来事。

主人「あんた、日本人だったよね?今日は残念だったねえ。ほとんど最後まで勝ってたのにねえ。」

私「後半、みんな疲れて、動き悪かったからなあ。」

主人「オーストラリアは熱いの慣れてるからね、カンガルーもいるし。ところで次はどことやるの?」

私「(カンガルーは関係ないだろ!と思いつつ)クロアチアとブラジルなんだよ。だからオーストラリア戦はとても大事だったのさ。」

主人「あちゃー、クロアチア、ブラジルかい。それじゃ、日本のワールドカップは終わりだね。決勝トーナメントのチャンスは全くないね!!」

私「(ちょっとムッとしつつ)全くってことないよ。少しはあると思うよ。」

主人「いやいや、クロアチアはもの凄く強いよ。だから全くないね。」

私「勝負はやってみなきゃ、わかんないでしょ!ほんのちょっとは期待してるんだけどなあ」

主人「(とどめを刺すように)いや〜、決勝トーナメント進出の可能性はまーーーったくゼロだね!!」

勝てば官軍、負ければ賊軍。

この屈辱に耐え、クロアチア戦、ブラジル戦、頑張れニッポン、サムライブルー。



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2006年06月05日

日本語検定試験!!

ネットで受検できる日本語検定試験受けてみました。
フランス語勉強してる場合じゃないことに気付いて唖然としてしまいました。
分かっているようで、分かっていない日本語・・・
5分から10分程度で終わるので、是非おためしくだされ。

http://www.atok.com/nihongotest/
posted by imaichi at 05:56| パリ ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

売りたし、私の愛車

売りたし私の愛車
車名   シトロエン XSARA 1.8iSX
年式   2000年式
走行距離 7万3千km
色    濃緑
装備品  オートエアコン、CDラジオ、エアバック、ABS、5速MT
その他  2005年3月、シトロエン正規ディラーで購入(完全整備済)
     地下駐車場保管、購入後1年4月で8千km使用
     車検済(Certificat de controle technique)
     外観良、エンジン好調、極上車です。
売却価格 3900ユーロ
連絡先 imaichihana@hotmail.fr

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2006年05月24日

車両売却手続きについて(2)

先日予約した警察庁指定自動車点検工場、「セキュリテスト」へ向かった。

車両売却に必要な書類の一つ、車両点検証明書(Certificat de controle technique)を取得するためである。

その他の書類の説明は、5月22日「車両売却手続きについて(1)」

http://hanahaku.seesaa.net/article/18240429.html

を参照してください。

10時から予約していたが、9時40分頃に到着。

外観は、日本でもよく見かける普通の整備工場でした。

ちなみに、12区のNATIONの近くにあります。
CIMG8969.JPG

受付も車両登録証を提出するだけという、ものすごく簡単な手続きだけで、

後は整備員が勝手に作業を開始してくれた。

作業に関しては

1 ライト、ウインカー等の電装系の点検
2 エンジン周辺
3 サスペンションの機能確認
4 制動装置確認
5 タイヤ、操舵、駆動系確認
6 制動、サスペンション部の目視確認
7 排ガス点検

といった流れで進められた。

CIMG8968.JPG
この写真は私の愛車の制動、駆動系の確認をしているところ。

作業は迅速機敏に実施されていた。

100項目以上の点検項目があるが、

やはり項目によって緩急がつけられている様子だった。

不備があると重大な事故を起こす箇所に関しては、ハイテク等を活用し、

特に念入りに実施されていた。

車両不具合による事故防止を第1に考えた極めて合理的な点検だと感じた。

日本の車検も勿論、同様の位置づけだが、日本のそれは、車両の状態維持に関しても

重きが置かれており、この点が日仏の相違といえるだろうか。

ちなみに、133の点検項目中、修理が義務づけられるのは32項目であり、

これらの項目に不備があった場合は、再整備後、

後日再点検する羽目になってしまう。

この工場は自動車点検工場であり、整備工場ではない。

不備があった場合は、別の整備工場へ行き、整備後、

再訪問を余儀なくされることになる。

勿論、私の車両は不具合もなく、無事に車両点検証を入手することができた。

料金は個人所有のガソリン車の場合60ユーロでした。
CIMG8968.JPG

posted by imaichi at 00:00| パリ ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

車両売却手続きについて(1)

今日は大学の授業がお休みということもあり、車両売却に必要な書類を準備することにした。
ちなみに我が愛車は地元雑誌に売ります情報を掲載した効果もあり、数人からコンタクトがあったものの、まだ売れていない。
まあ、高い買い物だから仕方がない。出来ることを早めにやっておこう。
譲渡側が準備する書類は以下のとおり。

1 車両登録証(Certificat d'immatriculation)
  通称、カルトグリーズ(Carte Grise)と呼ばれるもの。車両情報や所有者が記載されているもので、日本で言えば、期限のない車検証のような存在でしょう。これは、本人所有のものなので、当然、準備する必要はない。

2 譲渡証明書(Certificat de cession d'un vehicle)
  パリの場合は、区役所にある行政警察支所で入手可能。受付の綺麗なお姉さんに聞いたら、支所の位置を笑顔で教えてくれた。
早速、譲渡証明書の用紙3枚をゲット。
1枚は譲渡者保管用、1枚は購入者用、1枚は警察提出用とのことであった。勿論、提出先は区役所の行政警察支所である。

3 状況証明書(Certificat de situation administrative)
  車両に負債が残っていないことを証明するもの。行政警察支所内に入ると、場違いな巨大な機械が設置されていることに気付くだろう。これが、状況証明書発行マシンだ。担当者に使用法の説明を受けると、どうやらこれにカルトグリーズに記載されている登録番号と車両の初年度登録年月日を入力すると状況証明書が印刷されてでてくるらしい。
操作は極めて簡単、あっけないほど、簡単に必要な書類は入手できた。

4 車両点検証明書(Certificat de controle technique)
  4年以上経過した中古車を売却する場合は、これが必要になる。
  これは警察公認の自動車検査場が発行するもので、日本でいえば整備記録簿と車検証を合わせたものになるだろうか。
私の場合は、セキュリテスト(http://www.securitest.fr/index.php)という整備工場に申し込みし、5月24日(水)10時に予約をした。
ちなみに予約は、区役所ではなく、あくまで個人的に実施することになる。
133箇所をチェックし、最終的に修理が必要な場所が証明書に明記されることになる。このうち32項目は売却側に修理義務があり、要修理と判定された場合は、修理完了後、車両点検証明書が発行される。
点検の結果は後日、改めてということで。
お楽しみに。

カルトグリーズはこんなのです。
カルトグリーズ2.JPG

譲渡証明書はこんなのです。
譲渡証明書.jpg

状況証明書はこんな感じです。
状況証明書2.JPG
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2006年04月30日

ソー公園でお花見

今日は、友人がまもなく日本へ帰国するということで、ご近所さんでお別れ会を兼ねたお花見会が開催された。

今回、花見に使ったのはパリ市内から来るまで30分程度のところにあるソー公園(Parc de Sceaux)という大きな公園だ。
日本の観光ガイドブックには書かれていない場所なので、知名度は高くはないが、今回初めて行ってみてビックリ。
有名なベルサイユ宮殿の庭園に比べ、規模こそ小さいものの、その美しさでは決して負けていない。しかも、ここは無料。
私のお薦めの場所です。
地図等は以下の公式サイトで確認できます。
http://www.parc-de-sceaux.net/

CIMG8820.JPG
少々、小さめの宮殿、内部も無料で見学できる。

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お花畑に囲まれた綺麗な庭園

CIMG8833.JPG
お花見スポット

そして、この公園、4月下旬から5月上旬にかけて八重桜が満開になり、花見スポットとしても密かに人気がある。
今日も何組か花見をしていたが、日本のように馬鹿騒ぎするようなこともなくお弁当にワインというフランスらしい組み合わせて、まったりと時を過ごしていた。
なんとも、のーんびり時間を過ごすには最適の場所だ。
こんな場所で、何も考えずぼーっと昼寝してみたいものだ。

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2006年04月29日

オーセール(Auxerre)、シャブリ(Chablis)旅行

高速道路のトラブルを無事解決し、一路、同級生達との待ち合わせ場所であるオーセールの町のサンテティエンヌ大聖堂へ。

私のフランス人学生の友人が、ブルゴーニュ(Bourgogne)地方のオーセール(Auxerre)郊外にある彼の義父の別荘に招待してくれたためだ。
オーセールといえば、白ワインで名高いシャブリ(Chablis)の産地に近いところだ。
彼のプランにはシャブリーでのシャトー(ワイン生産者)見学と試飲も含まれている。
なにより、フランスの伝統的な個人邸宅の中を見聞できる良い機会でもある。
快諾したのは言うまでもない。

CIMG8770.JPG
サンテティエンヌ大聖堂
エティエンヌという人がその昔、エルサレムの法廷でユダヤ人によって告発され、石打ちの刑で死んだキリスト教最初の殉職者らしい。この大聖堂はその聖エティエンヌに奉献されているものである。

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15世紀に作られた時計塔
木骨組みの古い町並みが心を和ませてくれる。

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今回、友人が案内してくれたシャブリのシャトー

シャブリ周辺はブドウ畑と菜の花畑に包まれた空気の澄んだ素敵な場所だった。シャブリのワインはもともと大好きなワインの一つだったので、その産地とシャトーを見ることができたのは何よりの収穫だった。

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シャブリのブドウ畑
まだ、時期が早く新芽が出たくらいでちょっと寂しい。6月以降になると緑が増してくるとのこと。

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このシャトーで作られた1937年もののシャブリ
一体いくらするんだろう、想像もつかない。

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オーセール郊外にある友人宅
広大な敷地に建てられた邸宅の中は、豪華な装飾品で一杯だった。
野球ができるくらい広い庭園、そしてテニスコート、ブランコや砂場まである。いやいや、すごい金持ちの子弟だったのね、私の同級生。

CIMG8818.JPG

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そして豪華ディナー
本当は2泊3日の滞在の予定だったのだが、都合悪く、私たち家族は後ろ髪を引かれる思いで夕食後、オーセールを後にした。

帰り道、この邸宅の近くで見た満天の星空は、今回の訪問の感動を倍加させてくれた。





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高速道路料金所、恐怖の体験

同級生のフランス人友人から旅行に誘われた。
ブルゴーニュ(Bourgogne)地方のオーセール(Auxerre)郊外にある彼の義父の別荘に招待してくれるというのだ。

オーセールはパリの南150kmに位置する人口約4万人の小さな田舎町である。
パリから高速道路(A6)をひたすら南下して、約2時間で到着する予定であった。
が、しかし・・・

今日は3連休の初日ということもあり、郊外へ繰り出す車が多く、パリ郊外は大渋滞。
事故渋滞かと思いきや、日本と同じく完全な自然渋滞。結局20kmの渋滞を抜け出すのに約1時間半費やしてしまった。

遅れを取り戻すべく、平均時速1??km/hで高速をかっ飛ばしたのだが、友人が私に渡した地図に示されている高速の出口が見つからず、高速道路上を行ったり来たり。
やっとのこと見つけた出口は無人の料金所で、いつものように通行料金をカードで支払おうとすると、受け付けてくれない。
表示板をよく見ると、なんと私が持っているカードは2枚とも使用不可らしい。おいおい、両方とも国際カードだぞ〜。
何回試してもダメ。
焦る私・・・
出口はここしかない。
バックして本線に戻ろうかと、本気で考えているうちに、私の後には数台の車が・・・
しびれを切らした後のドライバーが私のもとへ。
SOSボタンで担当者を呼び出すことを教えてもらい、いざ、ボタンを押すと、女性オペレーターが即座に応答してくれた。
しかし、ただでさえ、フランス語、聞き取り憎いのに、インターホン上で雑音混じりでは完全に理解することは不可能だ。

彼女が言うには、カードがダメなら小切手で払うことができる。
そこで小切手の受取人の名前を教えてくれたまではよかったのだが、その小切手を一体どうやって処理すれば良いのか全く理解できなかった。

結局、再度、後のドライバーにお願いしてコミュニケーションをとってもらったのだが、彼もこんな経験したことがないらしく、かなり手間取っていた。
結局、自動支払い機の上方にある投函口に放り込めばよいとのこと。
こりゃー、どう考えても独力では解決不可能だった。
それに、もし私が小切手持ってなかったら、どうなったんだろう?
小銭投入口くらい付けとけよな、まったく!!

この間、5分から10分、全く、今思い出しても恐怖の体験だ。
そして、後方にはさらに長い車列...
皆、文句も言わずに待っている。
こんな時は、フランスで良かった〜としみじみ思う瞬間です。
なにより、嫌な顔せず付き合ってくれた、後の親切なドライバーに感謝。

いつも、旅行等で使う観光地に近い料金所は、硬貨併用型が通常設置されているのだが、ど田舎の料金所ではこういうやっかいなタイプの機会もあるので、要注意です。
といっても注意しようがないよな、全く。
posted by imaichi at 00:00| パリ ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | フランス事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

娘と息子のフランス語について

2005年9月6日に4歳の娘のフランス語能力を話題にしたのですが、あれから約半年経過し、どのようになったのでしょうか?
9月6日分の記事については以下を参照してください。
http://hanahaku.seesaa.net/category/665993.html

娘については滞在1年を迎えた2006年1月には、家でも仏語と日本語の切り替えが明確にできるようになりました。親が仏語で語りかければ、回答は仏語でかえってきます。もちろん、両親が仏語を熱心に教育しているわけではないので、自ずと限界はありますが、幼稚園で先生が使用しているようなフレーズは、あたかもネイティブスピーカーのように使いこなします。
時折、くだけた表現など使われると、

「えっ、何て言ったの??」

と質問する羽目になって、恥ずかしい思いをしたりもします。

まあ、家庭でも会話の比重を仏語に置いてあげれば、もっと伸びるんだろうけど、このくらいの年頃であれば、どうしても日本語習得に重点を置かざるえません。よって、会話については、飛躍的に向上したと言っても、極めて限定的状況下での会話です。

やはり、特筆すべきは発音の能力でしょう。
ご承知にとおり、仏語の発音は英語等に比べると数段難しいと言われており、30代半ばから仏語を始めた私にとっては、冷戦期のベルリンの壁のように越えることのできないものになっています。

そんな私に向かって、

娘「今の発音、全然違う!」
とさりげなく言い、
父「えっ、バレリンでしょ?」
娘「ちがーーーう。いい?私が言うから繰り返してよ。分かった?お父さん!!」
娘「VA
父「
娘「ちがーーーう。VA
父「えっ??う゛ぁ
娘「そうそう、だいぶいい、次、VA・RE
父「う゛ぁ・れ
娘「ちがーーーう。 じゃないの。RE
父「^^;;」

きっと、こんな感じで幼稚園の先生に矯正指導受けてるんだろうと想像できますが、父としては、全く威厳もなにもあったもんではありません。
が、せっかくなので娘の教授を有り難く頂戴している次第です・・・
まあ、発音に関しては、僅か1年の滞在で、恐らくは同級生に引けを取らないレベルに達していると想像できます。

さて、11か月の時にパリにやってきた息子も、2歳1か月になりました。
2歳の男の子をいえば、そろそろ単語レベルの幼児言葉(うん、いや、いく、たべる等ごく単純な言葉)を話すようになる時期ですが、2〜3か月ほど前、ある事実に気がつきました。
遊び半分で、仏語で語りかけると、返答が
うい(はい)」「のん(いいえ)」
ち仏語で返ってくるのです。
どうも、両親が日常的に使う言語(日本語)とそれ以外の奇怪な言語が存在し、両親と姉は、その2つを使い分けているという事実認識が、2歳児の頭の中で芽生えているようです。
きっと、彼の中ではある意味、生きていく上でとても重大な問題として認識されているのかもしれません。

そんな、今日の公園での出来事。
ボール遊びをしていた息子に、同年齢の別の男の子(勿論フランス人)が、無言でボールを奪いにきた。息子は、ボールを強く抱きかかえ、
のん、のんのーーーーん

別の子に、じっと睨まれれば、負けじと睨み返し、それでも相手がひるまなければ
のん、のんのーーーーん
と言葉で威嚇。

エレベーターの中で老夫婦に
「あー、トレミンヨーン、ケラージュ、チュタペルコモン(あら、かわいい子ね。いくつ?名前は?)」
と問われれば、
「うぃ、ウィ、うィーーーー
と穏やかに応えます。
きっと、この場合の「うい」は「私はあなたを受け入れますよ」っていう認識なんだろうな。


外界(公園等)で、こんなことがあるから、彼にとっても仏語で意思を伝えるというのは必須事項なのね。納得。
やっぱり、子供ってすごいと思った出来事でした。




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2006年04月13日

ショーモン(Chaumont)研修

パリの南東230km、ディジョンの北80kmのところにショーモンという小さな町がある。
今回はここに研修に来た。
研修最終日の今日、観光名所ということで、ショーモンから車で20分程のとろこにある
コロンベイ レ ドゥ エグリゼ(COLOMBEY LES DEUX EGLISES)
という町を訪れることができた。
はっきり言って、聞いたことがない。私が持っている観光ガイドには地名すらない。

いったい何があるかというと、
第2次世界大戦に活躍したシャルル・ド・ゴール将軍が戦後に居住した家、そして彼が眠る墓標がある町なのだ。
はっきり言って、今日初めて知った。

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ド・ゴール将軍が戦後、居住していた家

この家の入場料は4ユーロ。平日だというのに非常に多くの年輩(多分、戦前世代)の方が訪れていました。ガイドの室内解説というフランスにしては珍しいサービスにもお目にかかれたた。
室内には、蒋介石元台湾総統、チャーチル元首相等世界大戦時の戦勝国の当時の指導者達の肖像画が誇らしげに飾ってあるのが印象的だった。

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ド・ゴール将軍の墓標、今も訪れる人が後を絶えない

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ド・ゴール将軍の記念碑

2008年にはこの記念碑の横に氏に関連した博物館が建造されるという。
観光の目玉にしたいのだろうが、いかんせん、この地域、近くに主要な観光地や見所が皆無に近い。
いかにド・ゴール将軍といえど、今の若い世代を攻略するのは少々困難だろうか。


余談であるが、ここを訪れて感じたこと。
誤解を恐れずに言えば、やはり戦争にしても喧嘩にしても、最終的に勝たなければだめなのだ。

欧州戦線ではフランス軍はあっという間にドイツに敗北、国土の大半を占領された。
しかし、連合国(主に米軍)のノルマンディ上陸作戦によりドイツは駆逐され、フランスは連合国の一員として勝利を納めることができたわけだ。

さて、今日、ここで彼の栄華に触れ、戦後の極東軍事裁判、俗にいう東京裁判においてA級戦犯に仕立て上げられ、法務死を遂げた7人の日本人に思いを募らせた。

彼らには日本を敗戦に導いた戦時指導者として、日本国民に対し相応の責任はある。しかし、彼らは当時の国際法には存在しなかった「平和に対する罪」や「人道に対する罪」、いわゆる事後法で構成された罪で裁かれているのだ。
戦後、多くの連合国側裁判関係者が語っているように、これは誤った裁判という認識を日本人は持つべきだ。

戦後60年過ぎても、自虐的歴史観、いわゆる東京裁判史観の呪縛から抜け出せず、正当な歴史観、そして日本人の誇りを失ってしまった日本は、国際的に見れば、憲法や自衛隊同様にやはりノーマルな国ではない。

もし、大東亜戦争で日本が勝利していれば、きっと東条英機邸宅及びその墓標に多くの老人達が殺到していたのだろう。
戦争とはそういうものだ。
だから、一旦やると決めたからには勝たなければだめ。
逆に言えば、確実に勝てる状況でないかぎり戦争は回避すべきなのだ。

大東亜戦争は、回避のためのギリギリの外交努力が継続されたが、米国から屈辱的なハルノートを提示され、日本民族の誇りを守るべくやむなく開始されたものである。
そして、多くの特攻隊員は敗戦を確信しつつも、後世における日本民族の誇りを守るために文字通り自己を犠牲にして戦った。
しかし、戦争に負け、米軍の巧みな占領政策の結果、彼らが守るろうとした「民族の誇り」を根本から失うという事態に陥ってしまった。

だから、喧嘩というのは勝たなければ全てが無に帰してしまうのである。

今日、フランスの静かな片田舎でド・ゴール将軍の栄華に触れ、戦争というものの虚しさを改めて感じてしまった。




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